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「どこ」の会社に行くかではなく、そこで「自分がどうするか」グリーCTOの生き方

グリー株式会社
CTO
藤本真樹氏
<経歴>
1979年生まれ。上智大学英文学部卒業。グリー創業メンバーの一人。PHPのフレームワーク「Ethna」の開発者として知られ、最近では分散キーバリューストア「Flare」を開発している。楽天株式会社を始めとした複数の会社で、オープンソースソフトウェアシステムのコンサルティング等を担当。2005年6月にグリー取締役就任。執行役員CTO、プラットフォーム開発部長。

プログラムが動く仕組みは面白い!

Q.プログラミングを始めたのはいつ頃からですか?

中学1年生の終り頃、うちにパソコンが来てしばらく経った時からです。このパソコンは親のものでしたが、家にゲーム機がなかったので、パソコンでゲームをやり始めました。ところが、途中からゲームで遊ぶことよりもそれを動かす仕組みを調べることが楽しくなり、夢中になっていましたね。C言語やアセンブラなどでプログラムを書いて動かしたりしていました。

Q.大学は工学部ではなかったんですよね。

GREE2そうなんです。よく意外!と言われることも多いのですが、上智大学文学部に進みました。きっかけは、母親が英文学科を卒業していたため、家に英国の児童文学がたくさんあり、小さな頃から「ナルニア国物語」を愛読していたのです。それで卒論を書くために英文学科に入ったというわけです。「プログラマーを仕事にしたいな」とは思っていましたが、その為の勉強はそのうちできると思っていたんですよね。今考えると、大学でコンピュータについて体系的に学んでおけばよかったかなとは思います。

「どこ」ではなく「何をするか」が大事

Q.大学生の時に、アルバイトでプログラマーをしていたそうですね。

大学1年の秋から、社員数6、7人くらいのベンチャー企業で、エンジニアとしてアルバイトを始めました。プログラムはある程度書けたものの、インターネットに触れたのは大学に入ってからでパソコン通信もしていなかったので、正直自分の実力が社会で通用するレベルなのか不安でした。そこで、アルバイトをしてみようと考え、その世界に飛び込んだのです。

その時の上司が途中からIIJテクノロジーさんに出向することになり、人手が足りないからと誘われて、その仕事を手伝うことになりました。そこで2、3 年程働いたのですが、とても勉強になりましたね。実際にしていた仕事はテストと移植です。元々Solarisで動いていたシステムを、旧DECとFreeBSDとLinuxに移植していました。学生の時期に、仕様書を見てプログラム設計をするという仕事に触れることができたのは大きな経験でした。

UNIXについて学んだり、いわゆるサーバーというのもに触れたのものこのときが初めてでした。右も左も分からないので、ミスは多かったですね。複数名で同じマシンを使っているということに最初は慣れずに、要らないと思ってファイルを消していたら、他の人がちょうど作っているところで怒られたこともあります(笑)。

毎日、現場でバリバリ働いている3、40代の優秀なエンジニアたちにどう追いつこうかと考えていました。彼らの会話が理解できないので、帰宅してから専門用語を調べたりしていましたね。

Q.就職活動の時のことを教えてください。

GREE3就職活動の時期には、3社ほど受けさせて頂きました。大学3年の11、12月頃に受けて最終選考までいったのですが、手前でお断りしてしまったりもしました。選んだ会社の基準としては、プログラマーがやりたかったので、業務全体に関われそうな会社で、直で仕事を受けている、あるいは自社でソフトウェアを開発、販売しているところという観点で選びました。営業などの仕事は苦手だったので、一体何をやらされるか分からない会社は止めようと考えて、大企業は避けました。それから、スーツを着ないことと電車に乗らない自由があることが、自分としては仕事を選ぶ大きな基準でした。

結局、入ってからの仕事がイメージできたという理由で、アルバイトしていた会社に決めました。入社後は、コミットする時間は増えましたが、前からやっている仕事が増えたくらいで特に大きく変わったことはありません。社長がいい人で、かなり好きにさせてもらいましたね。基本的に、行くところにはあまりこだわりはないんですよ。「どこ」ではなく、結局そこで「自分がどうするか」が大事だと思うからです。

オープンソース、使う側から作る側へ

Q.藤本さんと言えば、Ethnaを始め、オープンソース活動で知られていますよね。

使う側としては、大学に入学した頃からLinuxなどにお世話になっていましたが、社会人1年目頃から作る側にも回りました。基本は自分がほしいと思うものを作って公開していました。この頃、オープンソースコミュニティにも顔を出すようになりました。Linuxでの商売に注目が集まっている時期で、様々な人にビジネスやライセンス、哲学などの話をうかがい、色々な考えや概念が吸収できました。僕は、「自分もいいソフトウェアを書きたい」と熱くなっていました。この頃に会った人たちの中には、雑誌に記事を書くきっかけをくれたり、カンファレンスで話をする機会をくれたりする人もいました。テーマは、PHPのソフトウェア関連のことが多かったです。PHPは、PHPだけが言語のエンジンがライブラリとして独立していて、それが面白いと感じて作るようになったんですよね。

オープンソースに関わることで、日本にいても世界中の人と関わりが持てるようになったことはとてもエキサイティングでした。海の向こうのエンジニアにできたものを送ったり、作ったソフトを公開するのは胸がわくわくしましたね。世界で使われているソフトの一部に自分のコードがあるというのは、本当にすごいことだと思います。「世界に向けて発信している」という感覚に痺れました。

Ethnaも、自分用のフレームワークを作る中でできていったものです。ソフトウェアを作って多少でも広まったのはこれが最初だったので、単純に嬉しかったですね。本の執筆依頼がきたり、使った感想がきたりという反応があったのも嬉しかったです。ただ、やりたいことの半分もできていなくて、「もっと色々できたな」という思いが強いですけれどね。

様々な会社と出会ったコンサルティング事業

Q.その後転職して、コンサルティング事業をしていたそうですね。

オープンソースのコミュニティで出会った人に「うちに来いよ」と言われて、一回目の転職をしました。2004年2月のことです。社員数は5〜8人くらいで、個人にお金を稼ぐ意識が高く、まるで個人事業主が集まったようなベンチャーでした。ビジネスにアグレッシブで、話がうまいという人たちばかりでした。

移ってみて、前の会社では自分が1エンジニアとして守られていたことに気がつきました。エンジニアとしてだけやっていればいいし、会計も知らないでいいし、ハードな交渉などもしなくて済んでいたからです。新しい会社は、技術をビジネスの1手段と考えている面があって、勉強にはなったものの、自分はこういう方向性ではないのかもしれない、という思いはありました。

けれどパフォーマンスは出したかったので、転がり込んできた受託仕事は意地でこなしていました。サイトを作ったり、メルマガ配信システムを作ったりと、何でもやっていましたね。結果には厳しい一方で働き方に規制はなく、結果を出せば会社に来ても来なくても自由にしていいという会社でした。

その後、コンサルティング事業なども手がけるようになりました。初め他の人がやっていた楽天さんのコンサルティングに呼ばれてやるようになり、やがて僕だけが担当するようになったのです。

グリーとの出会い、取締役を引き受けたわけ

Q.グリーと出会ったきっかけを教えてください。

GREE4グリー創業者の田中良和との関わりは、PHPのカンファレンスを開催する際、出演をお願いしたのが始まりです。それまで特に面識はなかったのですが、突然お願いしに行ったんですよね。その後、田中が退職間際にグリーの手伝いを依頼してきたのがきっかけです。2003年11月頃のことです。グーグルのOrkutは利用していたものの、mixiやグリーに関しては「日本で似たものがあるな」と思っていたくらいで、あまり使ってもいませんでした。

グリーを手伝い始めたものの、その頃は複数の会社を手伝っていました。「自分の力が役立つなら手伝いたい」という思いがありました。手伝うと自分は何ができるのかが分かったりと結果的に勉強になるので、2005年までは色々なところに関わっていましたね。ところが、田中が「役員にならないか」と僕を巻き込みにきたのです。

コンサルティング事業をかけもっていたのは25歳くらいの頃でした。社会人になって数年も経つと一通り仕事ができる気になっており、今度は一つの会社に絞って全力を注いでみたい、自分がどこまでできるか試してみたいと考えたのです。また、グリーは当時会員数10万人くらいでmixiに負けており、追いかける側は楽しいかなとも思いました。僕は、基本的にひねくれていて負けず嫌いなんですよね(笑)。

Q.具体的にはグリーでどんな仕事をしてきたのですか。

グリーはそれまで田中一人で作っていたので、システムとしてはかなりつぎはぎな状態で、「これでも動くのか」などと思ったことを覚えています(笑)。そこで、最初にシステムを整えるところから始めました。他にエンジニアがいなかったので一人で何とか頑張りました。開発サーバーを作ったり、グリーのバージョン管理をしたり、最低限の土台を作ったりしましたね。

最初は一人でやっていただけでしたが、エンジニアが入ってきて人が増えたたため、チームの面倒を見ることになりました。僕は、人の上に立つという意味ではまったくの素人でした。立ってみて初めて、上に立つことの大変さややるべきことの多さなど、色々なことを学びました。制限は大きく仕事は多くお金はない中で開発チームに何とかハッピーになってほしいと考えて、徐々にマネジメントというものを真剣に考えるようになりました。それでも、失敗は多々ありますね。

Q.仕事のやりがいはどんなところですか。

プラットフォーム開発部、役員などを兼ねているので、チームの人たちが僕の予想を超えて仕組みを作ったりしているのを見るのが嬉しいし、やりがいを感じますね。同時に危機感もあり、個人として負けていられないという、いい緊張感を持てています。

でも、現状に満足はせず、ずっと「まだまだだな」としか思っていません。意識的に「下を見たらアウト」と思っています。もっとすごい会社もすごいサービスもあるし、すごいエンジニアもいます。役員という立場なので、「これでいいだろう」では会社をやる意味がないですし、歩みを止めたら落ちていくだけですから。5、10年後に安心して振り返られたらいいと思っているんですよね。

Q.グリーの良さはどこにあるのでしょうか。

何よりもメンバーがいいですね。個性的で面白い人たちが集まっています。メンバーが良すぎてハードルが高くなり、新しい人が増えなくて困っているのですが(笑)。今後、会社が成長して人が増えてもパフォーマンスが出せる空気を作っていきたいですね。

自らサービスを作るのではなく技術面で支えたい

Q.個人的に注目していることは何ですか?

最近だとキーバリューストアが個人的に面白くて、試しに一つ作ってグリーのサービスでも利用しています。このあたりはまだ概念自体固まってないですし、日本だけでも10人近くのひとがそれぞれに実装をしていて、まさにこれからが面白そうです。あとは、ウェブサービスを提供していると、とにかくデータが集まるので機械学習なども面白いと思うのですが、そのうち時間ができたら基礎から勉強してみたいですし、つい最近リリースされた「Go」など、プログラミング言語も幅が広がってきていてもっといろいろ使い倒してみたいです。

Q.今後グリーでやりたいことはどんなことですか。

自分でサービス自体を作るというより、技術面で支えていきたいですね。今後一番やりたいことは、グリーのサービスプラットフォームをどこにも負けないレベルまで持っていきたいということです。他社の方とも話したりするのですが、AmazonやGoogleクラスになるとまたちょっと違いますが、ある程度規模が大きくなると、問題への解決策のパターンが決まってきがちです。とはいえ、もっといい仕組みはあるに違いないので、「グリーすごいね」と言われる仕組みを作り、それを生かしてサービスがよくなればいいと思っています。例えば、ユーザーが一億人になっても簡単にサービスを開発できるようなプラットフォームの仕組みを考えたいですね。

結局、ウェブサービスの多くは、特殊なものを除くと「この会社しか作れない」というものは多くはないのかもしれません。ただ、表には見えない様々な工夫や、積み重ねがサービスの質につながったりするのだと思います。また、ユーザーが多くなるとシステム負荷の対応などに3、4割のコストがかかってしまうこともあるので、そういったことを気にせずにサービスをつくることができる仕組みを整備して、よりよいサービスづくりに時間をかけられるようにしたいと考えています。

それとはまた別に、グリー独自の技術を生かしたサービスができたら、エキサイティングでわくわくします。ゆくゆくは、そういうことができる人たちも集まって仕事ができるような会社にしていきたいですね。

 
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